諦めつくまでキレイを目指す30代

30代いきなり増えた体重と体脂肪率を目の前に、筋トレで美しくなってやると決意したブログ

カラコン論争

最近話題になった、カラコン論争。


30代がカラコンやったらいけないのか、とか、私も周りにそう思われてたのかと思ってゾッとした、等の意見が出てるみたいですね。


マツコデラックスさんがテレビでそんなこと言ったらそういう風潮になってしまう、という意見もあるみたい???


さて、私は30代になったくらいのときにカラコンをやめました。

何故なら、カラコンの入った瞳と歳を重ねた自分自身の肌質があっていないと感じたからです。


プリプリの肌で重力なんか関係ない年頃の時に、人工的な瞳の輝きは、サイボーグ的な可愛らしさがあったと思っています。

しかし、身体はどんなに努力しても衰えていくのです。それなのに瞳だけはまん丸でクリクリとして非人工的に輝き続けている。


おかしい!おかしいよ、すごく。


その違和感を感じ始めてカラコンを私はやめました。

そしてカラコンがなくなった自分の顔は物足りなくて可愛くなくて本当に嫌だった。

だから一生懸命カラコンなしの顔に似合うメイクを研究し、落とし所をみつけ、

今はカラコンなしの自分の顔を自分の顔として受け入れています。


その違和感を感じず、はたまた違和感を感じていたとしても、カラコンをつけ続けたいという30代の女性がいるのなら、それはそれで本人の自由だと私は思います。


ただし、社会の第一線で働いていない女性は。


マツコデラックスさんが言ったから、カラコンをしてる30代の女性が批判されているわけではないんです。

もとからそういう意見はあり、マツコデラックスさんがテレビでそう発言したことにより「そういう風に周りに思われていたの知らなかったですか?」とカラコンしてる女性に現実が突きつけられたんだと私は考えます。


20代までは女の子です。

でも30代は大人の女性です。

ビジネスの場でクリクリした瞳で30代の女性が一生懸命真面目な話をしていても、なんだか信用度が下がってしまうのです。

何故といわれたってそこに理由等ありません。

知的さ、社会性、信用度、性格、第一印象、色んな物が絡み合ってその人とビジネスをするかどうか決めている現場で、

30代の女性がクリクリした瞳でいつまでも少女を捨てられずにしがみついていたら、

「いつまでも大人になれない人なんだな」

そう思われてしまうのです。

女性同士でも、男性からも。

カラコンをしてる30代の女性同士ではそんな風にはもちろん思わないでしょう。

でも仕事相手は30代の女性だけではありません。

40代、50代、60代の女性、男性だって一緒に仕事をするし、

その中にはカラコンを受け入れている方もいるでしょうが、

受け入れていない方もいるはずです。


だから私は、不特定多数の人と接して不特定多数の人から評価を受ける働く女性はカラコンをするべきではないと思います。


女性のオシャレをする自由、と言う方もこういうといるのでしょうが、、、


社会人ですよ、働いてるんですよ、周りの評価を気にして自分の身なりにある程度制限がかかるのは

働く女性として当然ですよね。

そして、経済活動をして報酬を得ているんですから。


服装が自由と見られがちなアパレルの人たちだって、就業時間中は自社ブランドを着ていないといけないというルールがありますし、

本当はスウェット上下が大好きな美容師さんだとしても「イメージを大切にする」職業だからオシャレで動きやすい服装で仕事をしていますし


完全に自由にオシャレをしたいなら仕事を辞めるしかないです


つまり、私なりの結論としては、30代の女性でも仕事をしていないならカラコンをしてもなにをしても良いけれど、働いてる女性は自分の為にどこかのタイミングでカラコンをやめたほうがいいのではないのかな、ということです。

(周りからどう思われても仕事の評価に繋がっても全然どうでもいい!!という人はいいでしょうけど。)


だいたい、オシャレする自由っていうけど、じゃぁ、サラリーマンの男性がロン毛茶髪で


これはオシャレの自由だから!


って言ったって、、、信用出来ないなぁーって思うでしょ。


女性はいつの時代からか自分達の権利や自由ばかり主張するようになりましたけど、

男性と同じように働く権利を!

と言って、男性と同じ土俵で働けることを求めたのは女性自身なのに、

その反面でオシャレする自由を!なんて、両方手に入れようとするのは、なんてワガママな生き物なんだろうなぁと同じ女性としてガッカリしてしまいます。

身嗜みに気を使う

綺麗でいる努力を続ける

のと「盛る」のは違いますもん。


多くの働く男性は、とっくの昔に働き出したら報酬のかわりに失うものがあることなんか当たり前に受け入れているじゃないですか。